青天のヘキレキ
青いイナズマがワタシを責める
くらいの衝撃で
母がガンを患ってから丸1年が経つ。

 

母は今も病と闘っている。
すさまじくすごい姿を
見せつけられている、今日この頃。
電話でね。

 

 

教育ママゴンだった上に
とても上質な「鳥かご」の中で
私を育ててくれたので

 

私は自分だけで社会に上手く馴染もうとすることを自主的おこもり生活によって一旦放棄した。

 

 

「ふつう」に言えば
私は世の中から一旦姿を消すという
遠回りな時間を
過ごしたかも知れないけど

 

その分、私は自分の内側を
今の私に必要なだけ
ガッツリと見つめる時間を
過ごさせてもらえたし

 

そのおかげで「鳥かご」から
自分らしく羽ばたくことができたと
思えている。

 

 

母「まさかアンタに
おシモの世話になるなんて
思わんかったわ~」

 

私「私はお母さんに
恩返しさせてもらってる
って思ってるよ~
これは神様がくださった
プレゼントタイムだよ、きっと」

 

 

実家のおトイレ
笑顔で交わされた実際の会話。

 

あの時のおトイレの
明るさ、ひんやり感
母のパジャマの手触り
母の笑顔を見た角度・・・

 

一生忘れることの無い
記憶の宝箱に入るだろう。

 

 

母は私にだけ、今、現在、なう。の
私の耳で聞こえる言葉
心の中の本当の想い
ぶっちゃけてくれている。

 

「アンタにしか話せんことだからね」

 

この特別感
今の私の支えになっているからこそ
こうして自分の心の中
表現できている。

 

そこで、今回をもって
この小話シリーズ
【母がガンを患って Final】
とすることを決めた。

 

 

♪・・・・・♪

 

 

母の命の長さは
神様と母自身に託すことに決めて
実際にだんなさんのいる
自宅へ帰宅する日程を決めた。

 

ここで、小話、初登場!
紹介しよう、私の

 

実は
この小話シリーズを書く
キッカケとなったのは

 

母であると同時に
私に気づきをくれた父だった。

 

 

父は典型的な
コテコテ昭和時代の人
私たち家族を養うべく
自分の人生を
仕事に捧げてくれた

 

だから
不思議でも何でもないんだけど
昭和時代には
当たり前だった価値観
父は家庭のことを
何から何まで母に任せ

 

母は
昭和時代には
当たり前だった価値観
父を支えてきた。

 

 

父は会社の皆さんのおかげと
父のものすごい努力
めっちゃ素晴らしい有終の美を飾り
サラリーマン時代の
幕引き
をした。

 

 

お暇をいただいてからの父の毎日は
新聞と
テレビのリモコンと
お箸以上
重たいモノを持たない
生活になった。

 

そんな昭和時代あるある
何もしない
何もできない父

(だってホントのことだもん)
にとっては

 

母にガンが見つかった時
青天のヘキレキ
青いイナズマが
父を責める
なんて

 

ちっぽけなもんじゃない
衝撃が走っただろう
と想像する。

 

 

私が母の
自宅療養に備えた
環境を作る応援をするのに向かった
実家の壁には

 

炊飯器の使い方
洗濯機の使い方
書かれた紙が貼られていた。

 

また、別の場所には
「チンゲン菜と
ウインナーの炒め物」
と走り書きされた
レシピらしきモノが貼られていて

 

それを目にした時
私はむせび泣きをした。

 

流行り病のために
病院の面会時間の制限がある中で
母に教えてもらった
メモだったのだろう。

 

 

私が応援に行った当日の夜
重度の小3病(※1)
患っていた父は

 

※1 小3病:知ってるコトできるコトを
全て話したがる傾向

 

私に向かって、母の入院中
オレはアレをやった
コレをやったと
アレコレ報告してきた。

 

ホントのところ
私は話に耳を傾けながら
「アンタ、今までそれ
全部やったことなかったんだね」

心の中で毒づいていたけれど。

 

 

後日、流行り病のおかげで
診察室への入室が
患者と付き添いの人間のが
一人と限られていたおかげで

 

母親の診察に付き添うことができ
感じが良く
確実に私よりお若いだろう
主治医の先生と
お話をする機会をもらい

 

家族の誰にも内緒の
「母の最期」についての
打ち合わせができた。

 

「アンタは、あーいう時
頭の回転が速いね~助かった。
ありがとね」

 

これでいいのだ!
と思わせてくれた。

 

 

 

いよいよ、父と母だけで過ごす
自宅療養の日を迎えた。

 

帰宅する日を決めたのは
正直、断腸の思いだった。
でも、ハッキリ言ってキリがない。

 

私には
だんなさんと私の生活がある。
これが今の私最高の幸せ

 

今の私の居場所は
だんなさんが待っている、あの家。

 

 

母は、昭和時代の底力
自分のできる範囲のことを
していくことは分かる。

 

私が断腸の思いを持っちゃう元は
昭和時代あるある
何もしない
何もできない父
である。

 

 

「ボク、がんばるもん!」

 

 

まるで小学3年生の少年
不安な気持ちを隠したくて張り切る、
みたいな姿をして
父は笑って私を見送った。

 

 

帰りの新幹線
帰宅してもしばらくの間
昭和時代あるある
何もしない
何もできない父

置いてきぼりにしたような
気持ちだった。

 

 

旦那さんとの日常生活の
リズム感をつかみかけた
ある瞬間に、ふと降りて来た思い

 

 

「お父さんに任せよう」

 

 

私の心と身体が
ふわりと軽くなった

 

 

私のできるレベルの母のケアを
父ができるのか、と思うから
心配になるのであって

 

父を信じてお任せし
父のできる範囲
母のリクエストに沿って
生活をしてくれれば
いいじゃないか

 

肉体の限界を迎えている母と
何もできない父を
置いてきぼりにした私は
冷たい娘なのではなく

 

だんなさんと二人
どっぷりと
幸せの中にいるんだよ、という
安心をプレゼント
していることを

 

最高の親孝行だと
思わせてもらおう。

 

 

私はパッと切り替えて
ゆかいな
すてきな奥さん
戻ることができた。

 

 

50年生きてきて
最も「家族」を感じた瞬間。

 

そうは言っても
家族だからと言って

 

既にそれぞれの価値観
ガッツリ構築された
全く違う
一人ひとりの
人間のグループ

 

私がこの考えに至るために
母は病気になってくれたのか。

 

やっぱりすごい。
さすが私のお母さん
ありがとね。

 

FIN.

 

 

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ABOUT ME
星野 華
季節の移ろいを感じ、星空からのメッセージに耳を澄ませる毎日。思い込みや常識に距離を起きながら軽やかに生きるための心の整え方を、お手紙にしてお届けしています。