私を作っていた「ネジ」がぶっ飛んだあの日、何を感じていたのだろう
高校二年生の秋
私は
私を作っていた「ネジ」の
大切な1本が
ぶっ飛んでいく体感を得た。
理由はとても単純だった。
実力以上の学力を
必要とされる環境に
身を置いていたために
置いてきぼりを
喰らうのではないか?という
進路系不安ストレス
体育会系の部活で
コーチから求められる
高度なプレーの指示に
応えられない時
容赦なくシャワーのごとく降ってきた
切れ味鋭い言葉と
ある日突然
その場から離れたものだから
顧問の先生と
チームメイトから
分かりやすくひん剥かれた
白い視線で
自分は人でなしなのか?という
心理系“痛傷”ストレス
あっという間に
私の身体と思考を動かす
潤滑油が枯渇して
噛み合っていた歯車の歯が
どんどんボロボロになって
ついに「ネジ」がぶっ飛んだのだ。
うわっ!私、壊れちゃう!
そう感じた私が
なくした「ネジ」を自力で
作るために取った行動
ほぼ毎日
コレ1本と

コレ1本を

摂取し続けた。
一秋(ひとあき)で
簡単に10kg重くなった。
私を作っていた
大切な「ネジ」1本の重さは
10kgだった。
乙女心には十分過ぎるくらい
重たかったのだけど
幸いにして
私が【その気】を出せば
簡単に10kg軽くできた。
「アンタの身体は風船みたいだね」

母親の乾いた笑い声は
実に心地好かった。
それから私は長い時間
伸縮自在の身体を
操り続けた。
あれから30年

幸いにして
私の身体は存在し続けている。
2022年の春
私は人生最高潮の
体調不良を味わったのだけれども
「アラ、私ってば
何としても
消えることができないのね」
という
潔い諦めの気持ちを皮切りに
自分なりに【生きる】ほうに
舵を切り直した。
ものすごく消えたかったのに
消えられなかったのには
きっと
私が存在する意味があるのだろう。
さて。
「ネジ」は
重量の調整が効いたけれど
存在の有無の保証は
どこにもない。
まぎれもない
自己責任、ってヤツだ。
私が望めば、どれだけでも
強くて手ごわい系ストレス
として
成り立たせることができる。
どうやらこの先も
私という【魂の器】と
長い付き合いになりそうだ
ということを確信したから
【魂の器】の
成分のクオリティーに
細心の注意を払いつつ
※身体の中に
何を摂取し、何を摂取しないか
日々のメンテナンスを
どうやって楽しんでいこうか
今日もだんなさんと
入念な作戦会議を
展開していこうと思う。
