「強い人」と「今は強い人ではない人」
「強い人」
メンタルを強くして、今の時代をたくましく生きていこう・・・
というのを耳にするたびに、いささか違和感を抱いてしまう。
だって無理だもん。
「強い人になれ」 「強い人になりたい」
時代が世の中があおるから、無理をしなくちゃならなくて
結果「しんどい」が心に溜まって
悲しいことが起こったり、悲しい気持ちになったりする。
「強い」にも、人の数だけ「種類」があると思う。
人によって「強い」の「得意分野」があるというか。
それを指してその人の「強み」と表現しているのかなぁ。
(気になったら、ググったり、広辞苑引いてみたりしてください)
あと、よく思うのは、確かに「強い人」は存在する。
精神的にも肉体的にも、上手くバランスをとって
いつもアクティブで、いつも楽しそうで、いつも笑っている
そんな人の側にいるだけで、こちらも同じような気持ちにさせてもらえる。
側にいるだけでそうさせてもらえるのだから
普段1個100円のコロッケが、思いがけず特売日で
1個79円だったりして心の中で「ヨシャ!」叫ぶくらいお得感いっぱい。
でも「強い人」は24時間365日「強い人」でいられるだろうか。
当たり前に無理。
それから、理由があっても無くても「弱い人」のことを
今の社会はお荷物とか言って排除する傾向にあるように感じる。
様々なハンディを持って日々を過ごしている方々の賢明さが
どれだけ「強い」ものだろう。
もしかしたら私だって誰だって、今現在その状態に該当しているかもしれない。
「強い人」の支えのおかげで私は元気でいられる。
「あの人は強い人だから」(なんでもこなせるのよねー)
余計なお世話、極まりない。
「心が弱いからできないんだ」(だから自分はダメなんだ)
責める必要など、1ミクロンもない。
「今は強い人ではない人」 それだけのこと。
おそらく地球上の多くの人々が当てはまるのではないかなと想像する。
「今」は1秒経てばただの過去になる。
これが長い時間、暗闇の中、トンネルの中でもがいていると
そうは思えないから非常に苦しい。
過去も未来も感じられない、不安と絶望の真綿でくるまれているのは
実はちっとも心地よくない。
ただ、「今」の1秒は、とんでもなくとんでもなくとんでもなく短い。
「今は強い人ではない人」
とんでもなくとんでもなくとんでもなく短い1秒で良いから
空に、銀河に想いを馳せてみてほしい。
無理に何かを思ったり考えたり感じないでよいから。
ちなみに私は、1日のうちに何度も想いを馳せちゃっているから
「脳内ファンタジー」を持ち合わせているのだろう。
※「脳内ファンタジー」については、後日、詳しく説明します
このメッセージを送ることを
私は偶然「今」できているだけのことだと強く思っている。
