私は築50年近くが経過した
総木造家屋で幼少期を過ごした。
最初は独立していたのだろうけど
増築に増築を重ねて
無理矢理同じ屋根の下にした
母屋と水回り。
幼少期の私にとってトイレは
もはや完全に外としか思えない
場所にあった。
しかも外履きは大人サイズの下駄。

”独り立ちトイレ”のトレーニング
最初は毎回が度胸試しだったような記憶。
”独り立ちトイレ”に慣れてきた私は
尿意を堪えながら
「お母さん、トイレ行ってきていい?」
さっさと行けばいいのに
母に対して、ふざける余裕が芽生えた。
だが、母のリアクションは
完全に意表をつかれた困惑能面。
「どうして、そんなことを聞くの?」
えっっっっっ???
逆に、どうして、そんなことを言うの?
「お母さん、トイレ行ってきていい?」は
母にとって
私からのサインにはならなかったのだ。
「お母さん、トイレ行ってきていい?」と
わざわざ聞いた私が欲しかったモノ
『行ってらっしゃい』の言葉
ふんわりした笑顔
『ダメ~』のユーモア返し
たまには付いてきてくれる?嬉しい期待
扉を開ける、優しい促し
『もう、一人で大丈夫だね』の賞賛
and more・・・
困惑能面なんて、
絶対に欲しくなかった。
絶対に。
穏やかな旅立ちに備えていた母に
さり気なく当時のことを話題にしたところ
「この子はトイレに行くのも
確認しないとダメなのかな、と思ったよ。
私がパタパタしてる時に限って
チョロチョロしてたんじゃないかな」
今は大人だから静かに
理解に努めたけれど
私の中にいる、小さな私にとっては
ふと、痛みに包まれる
救われない思い出。
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