『やさしい人だね』
恐縮はナシ。
私は生きてきた中で
この言葉をたくさん
いただいた。
と、同時に
その時だけ
自分の存在を感じられた。
だから、程なくして私は
自分以外の誰かに
やさしい言葉をかけたり
やさしい接し方をした時の
感想として
『やさしい人だね』
という言葉をもらえることに
私は気が付き始める。
恥ずかしいけど
認めざるを得ない。
確実に
誰かに”情”をかけたことの
見返りを求めていた。
気が付いた
自分のカッコ悪さに
きまりが悪い思いをしている。
※このことをきまりが悪いと思うのは
私基準なので、誰にでも
当てはまることではないと加える
一方、『愛』
愛は”無償の愛”と
表現されるように
見返りを求めることが
原動力ではないことを
感じていた。
「アナタに愛があるからこそ
○○をしてあげたんじゃない」
余計なお世話だ。
「今までアナタに注いだ愛を
返してちょうだい!」
くれ、と思った言った覚えなど
1ミクロンも無い。
なのに、なんでこんなこと
思われなくちゃいけないんだ?
そこで自分に問う。
”情”と”愛”を混同していた私が
今までやってきたことでは
ないだろうか?
”情”と”愛”を混同していた私は
もはや矛盾の塊。
今の私にとって
情でつながっている人との
関係を見直しが
自分の内側を見つめる
キッカケになるだろう。
”情”の見返りをもらって
自分の存在を感じているなら
誰かがいなければ
私自身は存在しない
まるで透明人間だ。
”愛”を持って
人と接する自分になろう。
言葉をかけることも
何かしらで接することも我慢して
ただその人のことを見守る。
決して困っている時に
何も手を差し伸べない、ではない。
見返りのことなど忘れて
ただただ
相手を感じて信じる。
そこに
自分の存在を感じるのが
今の私がコツコツと
できることだろう。
実にシンプルなことだ。
生きるのに大切なのは
シンプルなことが多い気がする。
きっとそうなんだろう。
美しい”情”を持ちながら
素晴らしい”愛”で
人とつながることができる
自分になりたい。
関連